毎年ゴールデンウィークの前後から、新潟と隣接している県の峠道の冬季閉鎖が解除される。
福島との県境の豪雪地帯にあり、長い冬に閉ざされていた国道252号、六十里越も、4月の末に閉鎖が終わった。
この道は信号も無く道幅も広く、楽しいコーナーと良い景色 (特に秋) 、雄大なダム湖である田子倉湖を望む、人気のツーリングコースなのだ。
今年も走れる時季がやってきた。
出発したのは18日午前4時。
夜明け前の空は、群青色に変わり始めている。
今朝は朝もやが出ていて、街灯の灯りがボンヤリとしている。
道路の気温表示は9℃。
今日は天気も良く日中も暖かくなるという予報なので、バイク用ジャケットの下には長袖を2枚だけ着てきたが、少し身体が冷える。
5時を過ぎ、田子倉湖に向かう国道252号に入った頃には、空の群青色は朝陽と混ざって淡い紫色に変わっていく。
陽が昇るのが思っていた以上に早く、私が季節に追いついていないことを感じた。
5月も半ばを過ぎ、今まさに新緑の季節。
バイクで緑の香りを吸い込みながら山間を走っていると、新緑の中に取り込まれてしまいそうになる。
国道252号六十里越に向かうヘアピンを登りはじめると、朝もやが一層濃くなってきた。
視界を塞がれる程ではないが、身に着けているものがジットリ濡れてくるのが判る。
明るくなってきても気温は低いままだったが、身体が朝の冷えに馴染んだようで、それ程寒さは感じなくなっていた。
朝もやが晴れないまま、福島との県境の六十里越トンネルを通過し、いつもの休憩スポットである開道記念碑の前に来たのは午前5時半。

記念碑には 『会越の窓開く 六十里越峠開道記念碑 昭和四十八年九月 内閣総理大臣 田中角栄』 とある。
ここから朝陽に光る田子倉湖を拝もうと思って来たのだが、深い朝もや (ここは雲かもしれない) がかかり、当てが外れてしまった。
時間が経てば少しは晴れるかと思い30分ほど待ってみたが、湖はもやの中に沈んだままだった。
左は本日。 僅かに湖面がのぞく。
右は去年の10月14日。 同じ位置から雲海を望む。
湖底には、かつてのマタギ集落、田子倉が沈んでいる。
ここで時間を過ごしていても、雲の中では衣類が濡れてくるばかりで、じっとしていたせいか身体もすっかり冷えてしまった。
仕方なく福島方面へ下り始める。
所々に冬の名残が残る峠道を下り、只見町に入る。
金山町へ向かう国道252号と南会津町へ向かう国道289号の分岐点に、バイク乗り必携の地図 「ツーリングマップル」 で紹介されていて、ツーリングライダーに高い支持を得ていた 『ますや食堂』 があった。
「あった」 と言うのは去年の10月末をもって、ご主人の高齢を理由に閉店してしまったのだ。
つなぎに海草を使ったツルッとした食感の蕎麦や、ラーメンなど素朴で美味しい味にバイク乗りのファンも多く、ツーリング時季の休日にはいつも数台のバイクが停めてあった店なのだが。
何度も立ち寄って、思い入れのあるバイク乗りの方も多いのではないだろうか。
看板はまだ残っていた私が閉店を知ったのは、去年9月の半ば。
入り口のドアに、閉店の趣旨を告げる張り紙がしてあったのだ。
これはまた閉店前に来なければと思い、10月の31日、ツーリングの帰り道夕方5時くらいに立ち寄った。
シャッターは半分閉まっていたのだが、店内には客がいた。
窓から湯気も出ているし、まだ終わってはいなかった。
私が店に入ると、客は私をジロジロと見た。 何か雰囲気が違った。
黒いジャケットを着た、無法者のバイク乗りが来たとでも思われたか。
まぁイイさ。 気にはしない。
空いている椅子に他の客に背を向けて座り、おかみさんが出てくるのを待っていた。
しばらくして出てきたおかみさんは、私を見て 申し訳なさそうに 「もう終わったんですよ。」 と言った。
エッ? 終わった?
2秒ほど考えた私は察した。
客だと思っていた人達は、どうやら身内や親戚、顔なじみやお友達の集まりだったのだ。
(聞いたワケではないが、雰囲気で察した。)
最後は親しい人達だけで・・・というトコロだったのだろう。
「あっ・・すいません。」 と私はつぶやき、気恥ずかしい顔を黒いヘルメットに押し込み、早々に立ち去った。
在りし日の食堂 ('07年9月16日 撮影)そんな赤面した思い出の店も、すでに瓦礫になってしまった。
バイクに乗り、意識を張り巡らして後に流れていく風景を見ていても、こんなときは自分のほうが置き去りにされてしまったような気がしてくる。
只見川の流れに添いながら、西会津方面へと向かった。
時刻は7時を過ぎたばかり。
気温は上がらず、もやもなかなか晴れてくれない。
(つづく)
